中卒先生の神(自分)のお言葉(寝言)















2019年3月




 なぜ、NHKから俺がいる死ね死ね団への「紅白歌合戦」出演オファーがないのだ?
 なぜ、天皇陛下は園遊会に俺を招かないのだ? 
 なぜ、ノーベル賞は俺を歯牙にもかけないのだ? 
 なぜ、俺は自民党の総裁選に出馬できないのだ?
 なぜ、トランプ大統領や金正恩は俺に会談を求めてこないのだ?
 なぜ、地球で最も重要な人物と見込み、宇宙人は俺へ交信してこないのだ?
 なぜ、埼玉西武ライオンズは俺をドラフト一位で指名しないのだ?
 なぜ、俺が書く歌詞はこんなにも過小評価されているのだ? 
 「死ね死ね団は曲が良い」。これは言われるね。うん、よく言われる。でもね、そのあと
に言う歌詞についてはだいたい「変な歌詞」とくるんだ。「死ね死ね団は変な歌詞だけど、
曲が良いよね」という感じで。
 変な歌詞というのは屈辱的だよなぁ。「変」ってたいしたことないじゃない。どうってこ
とない。「どうでもいい」と言っているのと変わらない。俺の歌詞って「変」程度なの? 「変」
程度の曖昧な、甘っちょろいものなのわけ。心外だなぁ。俺としては「変」などという生
易しいものではなく、もっと「凄まじい歌詞」「ぶっ飛んだ歌詞」「とんでもない歌詞」と
いうような言い方が近いと自負しているんだけどなぁ。
 死ね死ね団というのは、曲など比べものにならないほどじつは歌詞が良いんだよ。まあ、
良いか悪いかは別にして凄いんだよ。唯一無二のオリジナルなんだから。そう、歌詞こそ
が真骨頂、歌詞にこそ凄みがあるの。
 曲の方はオリジナルじゃない。オリジナルに聴こえるだろうけど。歌詞の方は発明だけ
ど、曲の方は純粋な発明ではないよ。あんなリズム、ああいうメロディーは過去の誰かが
作った曲にいくらでもある。そう聴こえないように工夫して作っているだけで。死ね死ね
マジック。はっきり言うと曲の方はパクリだよ。パクリどころか盗みだな。俺は盗人。泥
棒。丸髭を生やした。オリジナルなんかではない。そう聴かせない組み合わせ、アレンジ
なだけ。はっきりこう言い切るのも珍しいだろ? 潔いの、俺は。
 「曲ができたら◯◯に似てた」というわけでもない。そんないい加減な作り方はしない
よ。最初から「盗んでやろう」という気持ちで意識的にパクっているんだ。「これをやる」
と考えてパクっている。意識的にパクると意外と似ないものなんだよな。みんな意識しな
いで作るから似るんだよ。他のバンドの曲の方が死ね死ね団より何かに似ているんじゃな
いのか?
 曲というのはとっくの昔に終わっている。使い古したリズムとカビの生えたメロディー
を組み合わせていかに違う曲に聴かせるか、新しい曲に聴かせるか、オリジナルに聴かせ
るかという作業を誰もがやっているだけ。現在はね。もう今はオリジナルをやっているバ
ンド、人間なんていないよ。世界に1人もいない。いや、いるな。良い曲のオリジナルは
もうないけど、悪い曲、耳障りな曲のオリジナルならあるね。どうしてもオリジナルが作
りたいのなら悪い曲を目指して作ることだ。
 曲と比べて歌詞の方はというと、まあ隙だらけで、まだまだ伸びしろがあるんだよな。
特に日本の音楽の歌詞といえばほとんどが幼稚園児の作文で、程度が低いよね。伸びしろ
どころか隙しかない。みんな相当狭い範囲の中から選んで歌詞を書いているんだよなぁ。
「ここからここまでしか歌っちゃいけない」って勝手に決めつけて。日本語はもの凄い数
あるし、言い回しも何種類もあるし、歌詞に取り上げるテーマも無限に近いほどあるって
いうのに、自ら狭めているんだからなぁ。日本の歌詞は絶望的だ。
 そこで俺が登場したわけ。俺がやらないで誰がやるっていうの? 俺以外に誰もできやしねえよ。
 「好きだ」「会いたい」なんて普段言っていればいいんだ。わざわざメロディーにのせて、
リズムにのせて人前で歌う内容じゃない。どういう人格してんだよ? そのうえそんな歌
詞の内容で観ている人間を乗せようだなんて企ててんの。相当ずうずうしいぞ。そんなこ
とは彼女と乳くり合っている時、下半身をまさぐり合っている時、父さんとチンポコの引
っぱりっこをしている時に言っていればいいんだ。聞きたいのはそんな内容じゃない。歌
詞に実名を出してもいいんだ。歌詞でその曲の解説をしてもいいんだって。自分を徹底的
に賛美したっていいじゃないか。自分が住んでいる土地の嘘自慢をしたっていいんだ。そ
の書いた歌詞によって命を狙われても構わないだろ。覚悟が決まっていれば歌っちゃいけ
ない歌詞なんて存在しない。
 みんな、死ね死ね団の歌詞をもっと楽しもうよ。
 俺が書く歌詞は、歌詞の内容を頭の中で映像化するとより一層楽しめたりする。
 例えば『BURST NOSE』。
 CDを聴きながら歌詞を追うと尚良いね。尚楽しめる。
 「突如、おまえの鼻が燃え上がる」という歌詞で始まるこの曲。「鼻が燃え上がる」なん
てそんな光景、まず目にしたことはないだろうけど、頑張って頭に思い浮かべるんだ。キ
ミはやればできる! できる子なんだ!
 「天まで燃え上がる炎の出火場所はおまえのその鼻」と歌っている。たった1人の人間
の鼻が燃え、そこから出ている煙、いや、炎だろうね、歌詞からいくと。炎が天まで届い
ているんだよ。どういう光景だよ? 相当離れたところからも見えるよ。「なんだ、あれ
は!?」って。「いったい何が燃えているんだ? 製紙工場か? それともワルワル博士の研
究所が何かヘマをやったのか? いや人間の鼻だ!」といった具合で。
 目撃者が良識ある大人なら消防車を呼ぶだろうね。でも、その出火元がバカ、“鼻が燃え
ているバカ”が出現したと知れば、自衛隊に出動してもらうしかないだろ。“正真正銘のバ
カ”としか思えないからな、そんな奴は。
 2番の歌詞では、この鼻の出火が世界規模へと展開するんだな。「世界各地で鼻が燃え上
がる」。どういう光景よ? 大変なことだ。
 で、鼻が燃える原因は「シネシネウィルス」なんだと。これに感染して世界中で人間が
がこのザマになっている、と。
 2番が終わり、間奏だ。死ね死ね団の間奏、ギターソロはただのつなぎの時間稼ぎでは
ない。全ての音に意味があり、その間もドラマは続いている。この間奏の前半で弾いてい
るギター(裏のリズムのギター、次に妖しげなメロディー)は次の都市、またつぎの都市へ
とジワジワと侵攻する「シネシネウィルス」を表現しているんだ。後半になるとこの都市
壊滅、次にこの都市壊滅というのを(攻撃的な)ギターとリズムで表現している。次から次
へと人々の鼻が燃え上がり、世界中の様々な都市を壊滅させている映像を頭に浮かべてく
れ。
 間奏が終わり、「誰も止めれない 四万村先生でも」と3番では歌っている。
 四万村先生とは、俺の家の近所にある四万村医院の医院長のことだ。四万村司のお父さ
ん。「島村」ではなく「四万村」と書く苗字が好きなだけで、深い意味は無い。
 「鼻崩壊の危機」。これは人類が滅亡する危機ということか? いや、違う。シネシネウ
ィルスは命までは奪わない。わりと優しいし、愛撫には時間をかける方だ。と、全知全能
の神・俺が言っていた。その目的は鼻を黒焦げにし、全人類の鼻を黒くすることであった。
全人類黒鼻化。小麦色の鼻をした憎いやつ。
 死ね死ね団は歌が終わっても、エンディングまでドラマを続ける。
 3番のサビが終わり、メンバー3人で「ウォー、ウォウォウォ、ウォーウォウォウォ
ー♪ ウォーウォ♪ ウォーウォ♪ ウォーウォー、ウォッウォッウォッウォッ♪」と4
回くり返して歌うよね。これはシネシネウィルスにより世界は焼け野原になり、ペンペン
草一本生えていない状態になってしまったというのをメロディーで表現している。嘆いて
いるんだな。誰が? シネシネウィルスを開発した俺がだ。
 ほら、『BURST NOSE』一曲だけでもこうやって映像を思い浮かべて聴くと、歌
詞に深みが出てくるだろ?
 『下着の鬼』という曲がある。
 この曲の2番に「ある日彼女がパンツ脱ぎ捨てて 脱いだパンツと裸で並び」という歌
詞がある。
 この時、彼女は脱いだ自分のパンツの隣に立ち、「私とパンツ・・・さあ、どっちをとる
のよ!」と全裸なのに腰に両手を当て、胸を張っている。こういう映像が思い浮かばない
か? 本気でパンツに勝負を挑んでいるんだ。人生をかけた女の大勝負。
 『闘え!!死ね死ね団』。
 始まりは「ついにレーダーがキャッチしたキミのそのダンゴっ鼻 弾道ミサイル発射準
備しろ 鼻を破壊せよ」という歌詞だ。
 たかが人間の、女性一人のダンゴっ鼻をわざわざレーダーでキャッチする。そのうえ弾
道ミサイルを発射してその鼻に命中させようというのだ。なんという大仕掛け。バカげて
いる。レーダーがあり、弾道ミサイルが発射できる施設。基地内での会話なのは想像がつ
く。「シネシネホーク1号」、「シネシネライザー2号」、「シネシネランジャー3号」などの
陸・海・空の色々な近未来的な乗り物があり、隊員はウルトラ警備隊みたいにお揃いの制
服を着ているに違いない。ねっ、想像つくでしょ? 女性隊員も一人いて、たまに俺と一
緒に海やプールに遊びに行ったりして、ビキニ姿を披露したりするんだな。誰に? テレ
ビの向こう側のちびっ子たちに決まってんだろが! ウルトラセブンのアンヌ隊員に憧れ
ていた長嶋一茂に披露するんだよ!
 ほら、こんな感じでさわりの部分を想像するだけでも楽しいだろうが。他の曲もやって
みなって。
 楽しいだけじゃないぞ。じつは本音を歌っている。
 『KEEP THE SINE SINE DAN』という曲がある。
 この曲の歌詞、3番のサビで「男一匹死ね死ね団」と俺は歌っている。
 「男一匹」とは俺、中卒のことである。死ね死ね団にはメンバーが三匹(3人)いる、よ
うに見える。それならここでは「男三匹」と歌うべきではないのか? だが、ここで「男
一匹死ね死ね団」と歌っているということは、他の2人を死ね死ね団とは認めていない、
“他の2人は死ね死ね団ではない”ということだ。
 この曲の最後で俺は「俺は死ぬまで死ね死ね団」と歌っている。
 言い換えれば、他の2人は“死ぬまで死ね死ね団なわけではない”ということだ。他の
2人は、死ぬ頃にはTUBEのメンバーかもしれないということ。死ね死ね団であること
を俺に限り保証できるが、他の2人は保証できないということだ。











中卒